岡山移住2年で思うこと

鹿

東京23区内から岡山に移住して2年が経ちました。当初は岡山市の郊外に住んで1年、そこからもう少し田舎側に引っ越して1年、あわせて2年です。2年経って思うことを書きます。

ブログにどこまでどう書いていいのか悩ましい事自体が、都会と田舎の違いだと思うようになりました。

新しい発見だらけで楽しい日々なのですが、持続継続性がある生活には全然なってないです。

車がないとどこにも行けない?

車がないとどこにも行けないという呪縛、思い込みが生まれてきました。自分の中に。

でもですね、本当はバスも電車もあって、行こうと思えば行けるんです。でも、車がないとどこにも行けないような気持ちに、いつの間にか自分がなっていました。田舎に住むと、そういう思考回路になるのだと思います。

車に乗って自由な時間に出発し、渋滞もなく到着して、ストレスがない。それは田舎の人にしたら日常かもしれないけれど、改めて考えると、とても贅沢なことだと思います。

電車やバスに乗って移動しようと思うと、何時に出て何時に帰れるか計画しないとならず、旅行のようです。

ちょっと県北に用事があって、電車でも行けるかルート検索したら、車ならまっすぐ片道1時間半なのに、電車とバスを使うと遠回りに、片道3時間半かかる結果でした。料金もガソリン代よりずっと高いです。

車で向かう道すがら廃線跡地が見えたので、そのローカル線が現在も残っていたら、もっと近かったのかも。

都会なら駅近くにあるサービスでも、街の中心が駅じゃないから駅前になく、駅から徒歩圏でない場所に違和感なく存在しています。岡山駅近辺は大丈夫ですが、そうではない地域はバスや電車での移動は厳しいと思いました。

もしも自分が車を運転しない人間だったら、どうやってその用事を済ませたのだろう、と疑問です。

在来線を使って日帰りで神戸に行きました。思っていたより関西圏が近くて、時々は関西の都会な街にも行ってみたいと思いました。出不精なのでなかなか行かない気もしますが。長距離運転に自信がないので、そんな時は電車が便利です。

お酒を飲む場所

いままでコロナ禍だったので、あまり気にしていませんでしたが、夜にちょっと飲みに行こうよ、ということが存在するのか?がナゾです。

県外の都会に遠出して久々に友だちに会い、昼間でしたがお酒を飲む機会がありました。すごく懐かしいと思いました。今までコロナ禍だったから、というのもありますが。

車社会の人はどうやって飲み会をするのか、ということが、わたしにはわからなくて、帰りにちょっと一杯、みたいなことはしないのかな?運転代行サービスを使うのかな?満員電車に乗らなくていい代償がそれなのかな?

ナゾです。

車で県北にあるワイナリーに立ち寄ったら、運転するのでワインの試飲ができなくて、ワインが買えませんでした。「とにかくバス乗って」という公共交通機関を使うことを推進するCMが存在するのですが、お酒を飲む提案をすればいいのでは?と思いました。

満員電車がない件

たまに電車に乗っても、少しでも立つ人がいれば混んでいるように感じるけれど、それは都会だったら空いているほうな混み具合。満員電車に乗る生活を一生に一度もしない人がいるのかも、と感じました。

世の中には、満員電車に乗る生活を一度でもしていた人と、一度もしたことがない人がいるんだ、と思いました。

満員電車というのは、通常であったら、そのパーソナルスペースに他人がいたら絶対おかしい位置に見ず知らずの人がいて、その状態が一定時間が続きます。平日毎日ラッシュ通勤していたら、平日毎日往復行き帰りにその状態に置かれます。そしてそれは、世の中では当然のことになっています。

その代わりに好きな時に好きな場所に一人で自由に行きやすくて、夜の飲み会にも気軽に参加できます。

どっちがいいのか、というのは人それぞれの価値観だけれど、そういう経験をしたことがない人が世の中に存在する、ということがすごいなと思った次第です。

たくさんの中のひとり

都会は、近所にいる人が、全く見たこともない人だらけ、という状態が当然のこと。近所に知り合いがいたとしても、その何十倍も知らない人がたくさんいて、知らない人だらけです。

ということが、田舎だと起きません。いつも見かける人が、いつも同じ場所にいて、知人ではないから知らない人だけれど、「いつも見かける人」という分類に入ります。そしてたぶん、誰かに聞けば誰なのか判明する気がします。

都会の満員電車の場合、「同じ電車の同じ車両に乗る人」といういつも見かける人もいるけれど、たくさんの中のひとりで、全然知らない他人です。隣に住む人が長年会ったこともないまま引っ越してしまった、ということも普通に起きます。

たくさんの中のひとり、というのは気楽です。

すれ違いざま、知らない子どもに挨拶されると、ドキドキします。外国だと、エレベーターの中とか全然知らない人に挨拶されてドキマギすることがあるけれど、そういう感じ。

誰でもない通行人になれるのが都会。田舎だと、誰でもない人は他から来た人、旅行者みたいなよその人で、誰々さんとこの何々関連の人、みたいな、わかりやすいラベルが人それぞれに付いている感じがします。

それは東京都内でも、昔から住んでいる人が多い、昔ながらの町内会とか長屋とか商店街があった場所では同じ空気感を感じたことがあって、小さなコミュニティではそういうことがあるのだと思います。逆に都会の方が、危険なこともある分、知らない人への警戒心が半端なかったです。でも東京の場合は、よその人の割合が異様に多いので、その住宅街の道を、誰でもない通行人もいっぱい通る日常があります。

ちょっと反省したのは、声をかけられたら自分に対してか分からなくても、すぐに反応しなくては、ということ。知らない人に話しかけられた時、すぐに振り向くのは危険。というクセが長年の都会暮らしでついている自分に気が付きました。都会で「こんにちはー」と話しかけてくる知らない人は、キャッチセールスだとかやっかいな相手であることが多く、一番の対処方法は無視なので、そのクセが身についていました。近所ならそんなことないのですが、知り合いに会うとは思わなかった場所だったので、思い切り無視してしまい、反省。

人口というパワー

改めて、人口は力、と感じています。岡山市は政令指定都市で、隣に倉敷市もあって、その2つの市が岡山県の人口の中心です。

人口は数字でわかるので明確です。

お店とか来店が必要な商売をするなら、その人口が気軽に来れる場所がいいのかな、と感じています。広島側や関西圏から来てもらうにしても、岡山駅や倉敷駅が近いとわかりやすくて便利な感じがします。

とりあえず東京から引っ越した場所が岡山市の住宅街だったので、岡山駅や倉敷駅の近隣のことが少しはわかって、それでよかったと改めて思いました。はじめから田舎側に住んでいたら、近寄りにくかったかもしれません。

県北に行ってみたい場所はいくつかあるのですが、2年経ってもまだ行ってない場所が多いです。出不精な人間というのもあるのですが、運転距離にハードルを感じます。

情報弱者

都会では情報が平等に手に入ります。ホームページがきちんと更新されていて、ネット検索すればたいがいのことがわかります。情報弱者はスマホやパソコンを使わない世代の人です。

逆に、田舎の情報はネットに載っていないので、自分は情報弱者になりました。

まず、地域新聞。地域情報は地域新聞に載っています。なぜかその情報はネットには出ていません。

例えば、とあるハンドメイドマルシェが過去にあった、ということはネットに載っていました。では、次に出店申込みできるマルシェがいつあって、どう申し込めばいいかはネットに載っていませんでした。ずっと疑問に思っていたその問い合わせ先の電話番号が、地域新聞に載っているのを発見した時、自分が情報弱者であることに気が付きました。

「地域の情報はここから得ていますよ」と教わった、広告出稿有料の新聞の折込チラシもありました。公式サイトには載ってない情報がなぜか折込チラシには載っていて、かろうじてインスタグラムやフェイスブックにも載ることがある、という感じです。更新されないこともあります。

新聞を購読していない自分は情報弱者なのだと思いました。

そして基本は口コミ。人づてに情報は入手するようになっていて、人付き合いをしないと情報が手に入らない仕組みになっています。広く公に募集する、ということをしないものが多いです。

自分の場合、かろうじて活動や趣味で知り合った人に教えてもらって、なんとか情報を得ている状態です。それでも知らないことがいっぱいあります。ワークショップで使う場所も、人に紹介してもらった場所が多いです。(それは都会でもそうだったけれど)

ネットを使いこなせない人に平等に情報が届かないのとは逆で、人付き合いをさぼる人に平等に情報は届かない仕組みになっています。

物件探しにしても、作業場所を探す中で思ったのは、公開された物件を見に行く→近所の人に話を聞く→別の非公開な物件の話を耳にする、という流れもあるのだと感じました。

災害対策などの公の重要な情報は、防災無線で放送が流れます。(それは都会にもあるといえばあるのですが、重点度合いが違う感じです)

虫と草と動物

「田舎は虫がいる」という言葉の意味を、前はゴキブリとか大きいクモとか、蚊のことだと思っていたのですが、ムカデ、ダニ、ノミなのだと気が付きました。場合によってはマダニとか、ハチとか。

かゆかったり、痛かったりするのは、怖いです。

草はすぐ育つので、草刈りしないと歩けなくなります。虫は草むらにいたりして、草刈りをしなくてはならないです。

自然が豊かすぎて、草木染めの染料にしたい欲しい雑草に近寄れないこともあります。草むらはヘビも注意。

虫よけはたいがい薬剤なので、家で薬剤を使いたくないと思ったら、なかなか厳しいです。そういう意味では都会にいたほうが無農薬な環境で生きやすいと思います。

最近、作業場所ができたのですが、山に近くて、発酵に影響するなら藍染時は虫除けをしないほうがいいのか、とても悩ましいです。

寝泊まりしていないので大丈夫ですが、もし寝泊まりするなら家の中にテントがあったら安心だと思いました。根本的に虫問題を解決するのには、かなりのリフォーム予算が必要な気がします。

2022年の朝ドラ「ちむどんどん」の沖縄の家が半分屋外のような造りで素敵だと思っていましたが、改めて考えると、どれだけの虫が家の中にいるのか、かゆくなる気がします。

最近、鹿を初めて見て、「わー鹿だ!」とひとり盛り上がりました。鹿はどこにでもいるらしく、転がり落ちるように降りてきて車に当たって廃車になる、という話は前々から聞いていました。お墓の花を食べたり、農作物を荒らしたりという話も。

畑は柵の中なので大丈夫ですが、柵の外で鹿フンを見るので、よく来ているのかなと思ってました。運転していると動物注意という動物の絵の標識を見るけれど、どう注意すればいいのかがわかりません。

すばらしい自然の価値

すばらしい自然の風景も、地元の人から見ると、日常の当たり前の風景。

私がとてもいいなあと思った風景の場所を、「なんでそんなところがいいのかわからない」と言われて、「え!わからないの?!」と驚きました。

価値観の相違。

東京近郊は関東平野が広がっているので、山自体を目にすることが少なくて、岡山に来た当初、あちらにもこちらにも小さめの山があって、自宅の窓からも、車で運転していても、どこからでも山が見えて、「山が見える」こと自体に感動していたのですが、さすがにたくさんありすぎて、2年したら慣れてきました。

それでも時々、中牧に行く時とか、県北に向かう時とか、一級河川である旭川や吉井川と山並みが並ぶと、自然豊かで雄大な感じで、素敵だなあといつも思います。

逆に今家を建てるのに人気があるという地域を不動産屋さんから教えてもらった時、なんで人気なのかさっぱりわかりませんでした。言われてみると確かに、最低限の用事を済ませるのに必要なサービスが揃っていて、生活はしやすいのかもしれないです。価値観の相違。

外国で日本好きな外国人に会った時、知らない日本の映画の話をされて、「外国の人からみたら、日本といえばそういう雰囲気が好きなんだなあ」と勉強になったけれど、その映画をよいと思う気持ちは自分の中にはなくて共感できず、外国に興味があった私と、日本に興味があったその人では見えている風景が違うと思ったのですが、田舎と都会もそういう違いを感じます。みんな、ないものねだりなのかも。

価値観

自分がされたくないことは人にしてはいけない、という法則が有効なのは、価値観が同じ場合に限定されるので、常識がない自分がどう振る舞うべきなのか、わからない時があります。

人付き合いが得意ではなく、推し量ったりするのが苦手です。ギブアンドテイクな感じがするような、しないような。年代的な違いがあるのかもしれないし。ものをもらったらどう返すのかとか、むずかしい。

家族を大切にする人は、親元から離れた遠い場所に移住したりしないと思う今日この頃です。ごにょごにょ。

田舎移住を考える人の参考になるかと思って書いてみたものの、私自身は家時間、ひとり時間が多くて、たいして生活が変わっていない気もします。